服部泰卓のプロフィール

2007年大学・社会人ドラフト1巡目指名を受け
(ロッテ・西武・日ハムの3球団競合)
千葉ロッテマリーンズ入団。

2015年引退。今は・・・

2015年10月に球団から来季構想外を伝えられました。いわゆる戦力外通告というものです。
年齢やその年の成績から、ある程度は覚悟していましたが、でも、実際に伝えられた時には大きな衝撃を受けたことを、今でも昨日のことのように思い出します。
小学校一年生から始めた大好きな野球を辞めなければいけないわけですから、何とも言えない感覚を味わいました。
その後は、多くの人がトライアウトを受ける中、僕は受けませんでした。自分の中では毎日毎日、一軍で試合に出るためにはどうしたらいいのかを考えながら練習してきました。
普段の生活でも野球中心で行動してきました。「一軍で試合に出るためならなんだってやる!」…そんな思いで日々を過ごしていました。一軍の試合に出るためにできることはすべて
やってきたつもりなのに、その結果が戦力外通告なのですから、これ以上野球を続ける気力・体力は、もう残っていませんでした。

そこから、野球以外の道を探すことになるのですが、今まで野球が上手くなることしか考えてこなかったものですから、野球以外で何をしたらいいのか、全然思い浮かびませんでした。
野球のように「やりがい」を感じられることをやりたいと思っていたので、、僕の「やりがい」は何なのか?…と考えるようになりました。
自分一人でずっと考えていましたが、いくら考えても僕には「野球」という答えしか出てきませんでした。「野球が出来ない」→「野球以外のことを探す」→「やりがいがないとイヤだ」
→「やりがいって何だ?」→「やりがいは野球」→「でも、野球が出来ない」
…この思考の繰り返しでした。

一人で考えていても答えは出ないと思い、友人に相談に乗ってもらうことにしました。そこに友人が連れてきた人が、現在在籍している株式会社ミヤシタの代表・宮下だったのです。
食事をしながら僕の思いや考えを聞いてもらいましたが、最後に宮下から「現役時代にはどんな不安があった?」と聞かれ、僕は「一生できる仕事ではないし、一年契約だからいつ
クビになるか分からないし、辞めた後の収入面などの不安がありました」と答えました。すると「俺は保険代理店として独立してやっているけど、今、君のような不安を持った選手のサポートとしてできることはたくさんある。仮にこれからプロ野球の世界に飛び込んでくる選手がいたとして、その選手に対して、そのことを俺が話すのと全く同じ内容をキミが話すのと、どっちが選手のためになると思う?間違いなく君だよね。俺が選手だったとしてもキミから話を聞きたいって思うはずだよ。キミにしかできないことなんだから、これ、やりがいにならないか?」…そう言われました。

僕は野球で、自分にしかできないことを突き詰めようと思って毎日練習してきました。僕が試合に出るためには、代わりのきかない存在にならないといけないのです。
「この場面は服部だ。服部の代わりは誰にも務まらない」とならなければ試合に出られないのです。現役時代はずっとそのことを考えながら野球をやってました。
自分にしかできないこと、代わりのきかない存在…野球以外でもそういう存在になれるかもしれない!そう思ったら、答えが出ました。「これをやりがいにしよう!」…そう思えたのです。
その想いを胸に、今、僕は保険代理店で主にプロ野球選手専門の保険の担当者として毎日楽しく活動しています。

服部 泰卓(はっとり やすたか)

■1982年9月10日生まれ (戌年 おとめ座)
■血液型:A

【学 校】
鈴の宮幼稚園
泉小学校(2年)王子小学校(2年)
江原南小学校
江原中学校
川島高校
駒澤大学

【職 歴】
トヨタ自動車
千葉ロッテマリーンズ
ミヤシタ

【性格】
ポジティブ。どんなことがあっても結局自分にとっていい方向に向かうと信じている。
自分は運がよくてある程度は思い通りになると思っている。
頑固。これと思ったら曲げない。向上心が高い。
好き嫌いがはっきりしていて顔に感情がはっきり出るタイプ。
楽しい時にはすごく楽しそうだが、つまらないと感じている時には
すごくつまらなそうな顔をしているとよく言われる。
おかげで上下関係の厳しい大学生活はかなり苦労した。
情に厚い。

【趣味】
◆ゴルフ
ここ5年程スコア変わらない。
◆早朝トレーニング
ジムでトレーニング(最低でも週3日)
◆マンガ スラムダンク(好きな名言集ベスト3)
1位 大好きです 今度は嘘じゃないっす by桜木
2位 今日…ここでお前を倒して行く by流川
3位 静かにしろい…この音が…オレを蘇らせる…何度でもよ by三井
◆小学生の頃はゲーム(RPG)
・ドラクエ
・ファイナルファンタジーなど
尋常じゃないくらいレベルを上げることに情熱をもやす。
◆カラオケ
よく歌う曲
・Don'tWorry Be Happy/MONGOL800(ロッテ得点時応援テーマ)
・Love so sweet/嵐(ライブVer)
・カーテンコール/強(登板時登場曲)
意外とエンターテイナーです♪

【球歴】
小学校時代
小学校1年から地域野球チームに入るきっかけは仲のいい友達が入ると言ったため便乗して入部。当時はほとんど遊びみたいなもので球拾いですら楽しんでいた。
このころから将来の夢プロ野球選手になること。
小学校3年に転校をして、転校先がやきゅうではなくソフトボールが盛んな地域だったためソフトボールチームに入る。
小学校3年ながらチームメンバーがギリギリだったためすぐレギュラーとして試合に出る。
ポジションは3年の時はファースト、4年の時は左利きにも関わらずすばしっこさが買われてセカンドに。
(左利きがセカンドを守るのは超異例)
試合に出て、野球の基本の打つ守る走ることの楽しさを全身で感じる。
小学校5年にまた転校。今度の転校先は学校で少年野球チームがあり入部。5年の時は主に外野で試合に出る。
ここでもチームメンバーが少なくすぐレギュラーに。
6年になり背番号1をつける!
ずっと憧れていたピッチャーに初めてなる!!!
ただコントロールが悪すぎてボロボロ…
背番号1とは名ばかりでピッチャーとして試合に出るよりもファーストとして試合に出る方が多かった。

中学校時代
中学では自分たちの年代チームになると小学校6年以来の背番号1!!!
成長期で体が成長し野球の技術も自然と向上。
小学校時代のコントロール難は克服されており(理由は分からないが…)
エースとして市大会(当時は郡大会)優勝。
優勝をして完全に天狗に。自分よりいいピッチャーはいないんじゃないか?と、とんでもない勘違い…が、県大会出場し2回戦で早々敗退。
伸びた鼻はすぐボキボキに折られ井の中の蛙とはこういうことだと思い知る。

高校時代
高校に進学するも野球の名門ではなく人数もギリギリ。下級生の頃から試合に出る機会に恵まれ、2年生から背番号1をつける。
自分でもどんどん成長していると感じていたところだったが突然肘に痛みが。
靭帯を痛めてしまいボールが投げれない時期を過ごすことに。徐々によくなり自分たちの代の新チームになった時には背番号1に復活
新チーム快進撃で練習試合を含めて負けなしの連勝
県大会ベスト4に入ったが準決勝で敗退。
春の甲子園がかかる大会にシード校として出場するも3回戦敗退。
春の県大会で3位に入りんつの甲子園がかかる最後の大会もシード校として出場したがまたまた3回戦敗退。
しかも0-10のコールド負け。憧れの甲子園には行くことは出来なかったが同じ志を持った仲間と共に毎日汗を流したことは一生の財産。

大学時代
大学に進学しプロ野球選手を輩出するような野球の名門と呼ばれるところで初めて野球をする。
これまでの環境とはギャップがあり過ぎて戸惑いまくり。厳しい上下関係、寮内・グランド・部内ルール、1年生としての
ふるまいの仕方
など細かいことを言い出したらキリがないほど…野球のプレー以外のことでかなりのストレス。
初めて経験することばかりで心折れかけ。そんな状態で大学の春季リーグ戦が始まり、始めて大学の公式戦を観戦。
そこで驚いたのは自分より小柄な人がマウンドに。
その方は青山学院大学・石川投手(現ヤクルトスワローズ)。相手打線を寄せ付けない圧倒的な投球。まさに小さな巨人!!
その試合を観戦し自分の目標がしっかり決まる。「この人みたいになりたい!!」ここから自分の大学野球が始まったみたいなもの。
そこからは持ち前のポジティブさ全開でどんどんのめり込んでいく。
自分より体の小さい石川投手があんな圧倒的な投球が出来るのだから自分にもできるはず!と。
駒澤大学が加盟している東都リーグは戦国東都と呼ばれるほど大学球界では最もレベルが高いと言われているリーグ。
そこで4年間揉まれ、4年の時の秋の秋季リーグ戦で3連続完封を含む4完封、6勝を記録しベストナイン獲得。
自分でも大きく成長したと実感。

社会人時代
社会人野球チームを持つトヨタ自動車に入社。ここでも順調に力をつけていき、入社2年目から主戦としてマウンドを任されるようになる。
この年の全日本代表メンバーに選出されるまでに成長。いよいよプロ野球という世界が近く感じるようになる。
自分自身でも1日1日がプロに近づいているという実感があり毎日がワクワクしていた。恩師と呼べるような人たちとたくさん出会い、
練習メニュー・体のケア・マウンド上での思考など徹底的にレベルを上げ3年目には主戦で試合に出場し続け、トヨタ自動車悲願の全国大会初優勝に貢献。
全国大会でのMVP獲得!初優勝を果たしたメンバー達とのビールかけは最高の思い出!
そして迎えた2007年11月19日でのドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズに1巡目指名を受ける。幼いころからの夢がかなった最高の瞬間!

この年に獲得した主な賞
・東海地区ベストナイン
・都市対抗野球 優秀選手
・愛知県連盟杯 最高殊勲選手
・全国ベストナイン
・日本選手権 MVP

プロ野球時代
社会人野球出身のドラフト1巡目ということで即戦力として千葉ロッテマリーンズに入団。
周囲の期待も高く、自分としても1年目からバリバリ結果を!と思っていた。しかし結果を意識しすぎるあまり自分で自分を追い込み本来の自分らしさを出せず思うような成績が残せない日々。
そんな状態が入団してから5年間。幼いころからの夢の舞台であるプロ野球という場所で大きな挫折を味わう。
通常、5年間も目立った成績を残せなかったら戦力外でもおかしくないところ6年目も選手として迎えることが出来た。ただこの年はラストチャンスだと感じていた。この年も前年までと同様の
成績なら間違いなく戦力外だろうと。これまでの5年間は自分の苦手なことをなおそうとか克服しようと考えてきたりしたがこの年は、どうせダメなら最後の年なんだしやりたいようにやろう
と開き直り苦手なことは無視して自分の得意なことだけをどんどんやっていこうと決めた。それの方がダメだったとしても悔いが残らないと思ったから。
結果、ラストチャンスとして臨んだこの年にプロ野球人生で最高の成績を残すことに。51試合2勝1敗22H 防御率3.38 
思考を変えるだけで結果が変わってくる。5年間思うような成績が残せず悔しい思いをしてきたがこの年ですべて報われた気がした。それぐらいこの年はプロ野球選手として充実していた。
その後2年間チームに在籍をし、2015年にプロ野球人生を終える。